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酒田市の温泉
●湯の台温泉
湯の台温泉 は標高450mの鳥海山南裾にある鳥海山荘、
●松山温泉
また 八森温泉は町中にある「ゆりんこ」という日帰り施設。宮海温泉 は酒田市の最北、日向川の河口付近にある。国道7号沿いで元祖スーパー銭湯とでもいうべき 保養センターゆうゆう 辰ヶ湯温泉は松山町地区土淵にある一軒宿で、13.0度のNa塩化物冷鉱泉が湧く。 松山温 は最上川を眺め下ろす高台にある観音湯という宿で、単純泉が2階建てになった眺めのいい半露天風呂にも湧く。 松山湯温泉は、山寺地区、旧国道345号から少し東にそれた所にある温泉で、 松山新湯 も道路向かいにある。10.0度の含食塩重曹硫黄泉が湧く。平田地区の 小林温泉は健康増進施設で現在は宿泊も可能。15.0度のアルカリ性単純泉。小林は地名の大字。13.0度の単純硫化水素泉が湧く。

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新庄市の温泉
最上川温泉
●最上川温泉
新庄市に保養センターになっている奥羽金沢温泉 は市の北東部、杢蔵山登山口にある日帰り入浴施設で、源泉54.0度の含食塩芒硝泉が湧いている。新庄市郊外の本合海地区、国道47号から少し南に走った油山の高台に3軒の宿の 新庄温泉がある。ここは昭和初期の開業で、源泉39.6度の重曹弱食塩泉が湧き、飲泉もでき、胃腸方面に効く。

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上山市の温泉
かみのやま温泉
●かみのやま温泉
山形市の南に位置する上山は「上の山形」とよばれ、また古くは「神山」と表記されていた。室町時代に最上満長は、この地を領地として「上山氏」と名乗ったことから現在の名になった。その後、市内の川の流れを変え、城下町として整備した。 かみのやま温泉は別名「鶴脛の湯」と呼ばれる。それは室町時代の長禄2年(1458)、肥前の国(現、佐賀県)の月秀という旅の僧が、沼地に湧く湯に一羽の鶴が足の脛傷を癒しているのを見かけ、諸病に効くことを里人に教えたという言い伝えからきている。江戸時代になると奥州街道と米沢街道の宿駅として、奥州十三大名の参勤交代路の交通の要地として賑わいをみせた。また上山は松平氏3万石の城下町として、また出羽三山参りの宿場町として大いに栄えた歴史をもつ。古くは庄内の湯野浜温泉や福島県の東山温泉とともに「奥羽三楽郷」に数えられた湯の町でもある。泉質は食塩泉と含石膏弱食塩泉。温度は62〜68度。神経痛やリュウマチ、婦人病、創傷、慢性皮膚炎、動脈硬化などに効く。飲用すれば慢性消化器病や便秘などにもいい。 現在の温泉は湯町、新湯、十日町、河崎町、高松町、葉山の6地区に分かれていて、町全体が温泉郷になっている。狭義にかみのやま温泉を湯町・新湯・十日町だけをさす場合もある。各地区にある計7つの共同浴場
●かみのやま温泉・温泉神社
は80円で入れる。大正12 年には、南側にあたる新湯地区に温泉が掘削され、大型の旅館が次々に立地。発祥地である湯町は、1982年に再建された上山城の北側に位置していて、武家屋敷が並ぶ。城の脇には細い坂道が多く、月待坂や袖摺坂、湯出坂などゆかしい名前が付き、観光や湯上がり後の散策にいい場所になっている。その坂に面した狭い路地に木造を中心にした旅館が建ち、城下町当時の情緒が感じられる。また十日町には旅籠の雰囲気を漂わせる古風な宿が通りに面して、城下町らしい湯の町情緒いっぱい。さらに戦後になって、昭和23年に市街地の南西部に、河崎、高松、葉山の3地区が開湯した。上山の温泉の中では比較的新しく、規模の大きい近代的なホテルが目立つ。当初は湯治場としてひなびた宿が並んでいたが、交通の便の良さと、特に葉山地区は蔵王連峰を見晴らす高台にあって大型の宿が密集、3000人と収容力も大きい。こうして全域に広がっていった歴史がかみのやま温泉の特徴になっている。82年に再建された上山城、上山競馬場の他、斎藤茂吉記念館、沢庵禅師の草庵だった春雨庵、美術コレクションを展示している蟹仙洞などがすぐ近くにあり、蔵王高原、坊平高原、エコーライン、米沢・置賜エリアへの観光、果物狩りなどの基地になっている。毎年9月に、市民公園でかかしまつりも行なわれる。 上山市の南部南陽市との境付近中山地区の山中にある 中山温泉は91年開業の新しい温泉で、アルカリ性単純泉の湧く日帰り専門。休憩は可能。

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天童市の温泉
天童温泉
●天童温泉
天童温泉 の歴史は比較的新しく、明治19年、舞鶴山北側の田園地帯であった鎌田地区に灌漑用水確保のために井戸を掘った時にぬるい湯が噴き出し、これを利用して、やがて浴場や宿屋、飲食店が次々と建てられていったことが始まり。当初、この辺りの地名をとって鎌田温泉と呼んでいたが、明治44年に同じ場所から高温のお湯が湧き出て、温泉街の形成とともに天童温泉に改称された。その後、湯の安定確保のため、昭和30年に共同組合を発足させ、源泉の集中管理を図っている。泉質は63.0度の硫酸塩に富む含芒硝石膏泉。一般的適応症の他、筋肉痛、動脈硬化症、かっけなどに効果がある。飲用では慢性胆のう症や便秘症、肥満症などにも効く。玄関前に飲泉所を設け
●天童温泉・ゆぴあ
ている宿もある。天童温泉は、現在は大規模な温泉地に発展し、近代的設備を備えた高層の大型旅館やホテルが建ち並んで、県内随一の賑やかな温泉街を形成し、多くの観光客が訪れる東北屈指の温泉地。現在19軒あるホテルはそれぞれ、将棋駒の里ならではの趣向を凝らした風呂や、料理を工夫し、他の宿との差別化を図ってい る。街並みにも将棋駒の趣向が凝らされ、駅前を走る県道はクロマツ並木が続き、羽州街道を再現。中心を流れる倉津川に架かる9つの橋には、駒の看板が欄干を飾り、川べりにしだれ桜が植えられて美しく整えられている。天童市将棋資料館や天童市美術館、広重美術館・出羽桜美術館など、芸術と伝統産業が息づいた施設も多く、散策も楽しい。地内にはバーやスナックなどの大きな歓楽街が広がり、夜ともなれば浴衣姿の人々が下駄を鳴らし、華やかなネオン街を歩いている。 共同浴場は、温泉街の中にある100円で入浴できるふれあい荘と、最近開業した西郊外にあるゆぴあの2箇所。特にゆぴあは広い敷地に、大浴場に隣接した岩造りの露天風呂も景色がよくて、しかも入浴料が200円と格安で人気がある。

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東根市の温泉
さくらんぼ東根温泉
●さくらんぼ東根温泉
朝日連峰、月山、葉山を遠望する、豊かな田園地帯に広がるさくらんぼ東根温泉 は、果樹園栽培のさかんなところで、さくらんぼ、りんごの収穫シーズンにはずいぶんの賑わいをみせる。明治43年の大旱魃に見舞われた翌年、住人の天野又右衛門が、灌漑用水のため井戸を掘ったところ、深さ約50mのところで40.0度の湯が湧出。次の年には一気に50本余りの源泉が掘削されて、わずかの間に水田地帯に温泉場が造られたという。明治27年には正岡子規がここを訪れて、「雲にぬれて関山こせば袖涼し」と詠んだ。その句碑が成田山神社の境内に建っている。昭和32年の温泉協同組合の設立と同時に、源泉を5本にして集中管理に移行した。泉質は含食塩硫化水素泉・芒硝弱食塩泉。泉温58〜70度。神経痛や慢性消化器病、切り傷や火傷などに効く。 さくらんぼ東根温泉は東根駅の東部にあり、観光客向けと湯治客向け、それぞれを対象にした宿、計25軒と5軒の共同浴場をはじめ、民家や商店や福祉施設などが集まって、田園の中に一つの町を形作っている。昭和50年頃から60年まで温泉街区画整理事業が行なわれ、町並みが整えられた。そのため温泉街はほぼ直角・平行の道路になっていて整然としている。温泉街を歩いても、路地や公園や、はなみずきの植えられた歩道など、ゆとりをもたせた造りが感じられる。街の中で、自由に利用できる「温泉井戸」も6ヶ所設置されていて、いつも熱い湯が溢れている。地域の人たち
●湯舟沢温泉
がいわゆる井戸端会議をしながら洗い物などをしている。また、掃除がいきとどいて清潔な共同浴場が5軒もあり、そのうちの4軒は一般家庭が住居を兼ねて管理しているという点も特徴的だ。入浴客は、小さな銭湯に行くような気分で、家主に挨拶して風呂に入る。人と人との温かなふれあいが感じられる。いしの湯と沖の湯、巽の湯の3軒は、同じ場所で古くから続く浴場。オオタ湯は比較的新しく大広間などもあり利用しやすい。オオタ湯の近くには新しく足湯ができた。東根小学校の校庭にある樹齢1500年以上、幹の太さ16m、直径5m、高さ28mという日本一の大けやきは一見の価値がある。近年、大きな枝が自重で折れた。 なお、東根市の北に位置する村山市には土生田地区に 湯舟沢温泉がある。ここは丘陵地の一軒宿で、21.0度の単純硫黄泉が湧く。建物は2階建てのお洒落な山小屋風。本飯田地区にある ゆざ温泉は江戸時代末期の大江町にあった豪農の館を復元した一軒宿のあいかも会館。20.0度の単純冷鉱泉が湧いている。また市街地から最上川を渡った西部地区にある 碁点温泉は、本格的クアハウス施設でバーデゾーンの他、プールや川岸を利用した歩行散策路が設置されている。温泉は40.0度のNaCa塩化物泉。碁点温泉の西、葉山の山裾の湯野沢地区、枝道の行き止まりに 冨本温泉冨本館という一軒宿もある。三方を山に囲まれた山間の宿で、13世紀後半に発見され、明治時代に開業した古い温泉。強アルカリ性の36.0度の単純泉が湧く。

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尾花沢市の温泉
銀山温泉
●銀山温泉
尾花沢市街地の東方、宮城県との県境に連なる奥羽山地の西麓にある 銀山温泉は、古きよき時代をいまだに感じる閑静な山峡の温泉地。近くにある銀山ダムの奥に温泉街の中心部がある。銀山温泉は、室町時代の康正二年(1456)に儀賀市郎左衛門によって銀山が発見され、その翌年から採掘を開始、一時は22万もの人がここに住んでいたといわれる。その後に一度の廃鉱を経ながら復興。そして江戸時代に入った慶長年間(1596〜1615)あるいは寛永年間(1661〜73)に、一人の鉱夫が鉱山で偶然、温泉を発見。その後、この地を治めていた延澤氏が銀鉱を大きくしていった。それで一時は日本三大鉱山の一つにも数えらるほど繁栄し、野辺沢(延沢)銀山として隆盛を極めた。元禄2年(1689)に廃山されるまでの間、温泉はもっぱら鉱夫のみが利用していたというが、廃鉱後の寛保年間(1741〜44)頃から山師たちの一部がこの地にとどまり、温泉宿を営むようになった。当時は軽井沢峠を挟んで、仙台と尾花沢を結ぶ街道沿いの宿場町だったこともあり、一般客が訪れるようになって、湯治場としても盛んになった。大正2年の大洪水で温泉街は多大な被害を受けたが、昭和元年には、新たな湯脈も発見され、ますます温泉が賑わった。当時の風情を残す大正ロマンの街並は、NHKの連続テレビ小説「おしん」でロケ地のひとつに選ばれ、一躍全国的に有名になった。温泉地としてだけでなく、今でも観光色を併せ持った名所として、一年を通じて、全国からあるいはアジア諸国から観光客が訪れている。出羽の名湯として名高いお湯は、細かい湯花が混じった乳白色。泉質は55〜63度の含食塩硫化水素泉。効能は一般的適応症の他、皮膚病、創傷などに効能があり、飲用もできる。望楼付き木造三階建の旅館が、往時の名残りをとどめながら、川に沿って建ち並び、幾つもかかる橋やガス灯が風情を添える銀山温泉は、さながら隠れ里といった趣き。川にはいくつもの小さな橋が架かり、初めて訪れる人は、人家離れた山峡に大正ロマンの情緒漂わせる温泉街を目にして、驚きに似た感動を覚える。14軒ある宿のうち、近代的設備が整った旅館が温泉街の入り口に一軒あり、他13軒のほとんどは、土産店などとともに銀山川をはさんで向かい合っている。共同浴場は温泉街中ほどに一軒
●鶴子温泉
ある。湯上がり後の散策は格別の楽しみだ。橋を彩るように鉢植えの花を置いたり、蛇の目傘を立て掛けたり、宿それぞれが努めて景観を美しくしようという心意気が見られる。夕暮れ迫ればガス灯に明かりが灯り、雰囲気をさらに演出する。温泉街の奥にある白銀公園には、かつての銀坑道跡、山の神神社をメインに、めぐり歩ける散策路が設けられている。白銀の滝や、せとこい橋、かじか橋、おもかげ園や夏しらずなど、見どころも多い。 なお銀山温泉地内の神社脇から南に走る道があり、大谷地沼を経て鶴子地区に抜ける。ここには1978年に開業した 鶴子温泉勘兵衛荘というひなびた一軒宿がある。32.0度の単純泉。鶴子温泉は標高1500mの御所山(船形山)の登山口にもなっていて、窓の外には最上川支流のひとつ丹生川が流れている。上流は新鶴子ダムがあって人造湖も景勝地になっている。

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南陽市の温泉
●赤湯温泉(からころ館)
山形道の山形蔵王ICから国道13号を米沢方向へ、あるいは東北道福島飯坂ICから国道13号で米沢を通り越して、さらに北上、バイパスから温泉街に入ると、一般の商店や食堂などが並ぶ市街地域に20数軒の宿が広く点在して温泉街を形成している 赤湯温泉に着く。南陽市は置賜盆地の北辺にあり、北側の山の斜面にはぶどう栽培の白いビニールハウスの列が特徴ある景色をつくりだしている丘陵になっていて、一方、南部は豊かに開けた平野という地勢になっている。イギリスの女性旅行家のイザベラ・バードも東洋のアルカディア・桃源郷と讃えた実り豊かで温暖で、風光明媚な地にある。温泉の発祥は、今から900年以上前の平安時代の寛治7年(1093)、出羽の平武衡・家衡征伐に赴いてきた八幡太郎義家の弟・加茂次郎義綱が草刈八幡のお告げで山麓の白竜湖の岸に湧出している湯を見つけた。この湯に傷を負った兵を浸らせたところ、血によって、湯が赤く染まりながらも、たちまち傷が癒えた、という伝説がある。赤湯という温泉名もそこに由来している。また一説には、正和元年(1312)烏帽子山麓に草庵を営んでいた米野与惣左衛門が信仰していた薬師如来のお告げで発見したともいわれる。 江戸時代には米沢十五万石の藩主の湯治場として繁栄、藩の御殿湯として別荘もあった。明治期になっても国道沿いの立地と鉄道の敷設でさらに栄え、次々に旅館が開業。源泉のある烏帽子山の麓には今も当時の面影が伝える宿が残っている。大正4年、昭和26年にそれぞれ掘削が行なわれ、現在は毎分800立の63.0度の含食塩硫化水素泉が湧いている。神経痛やリューマチをはじめ、創傷・火傷や皮膚病などに効く。温泉地内にはとわの湯・あずま湯・赤湯元湯
●ハイジア赤湯温泉
・烏帽子の湯という4軒の共同浴場、源泉地に2ヶ所の足湯がある。 烏帽子山は日本のさくらの名所100選の地でもある。また地内には元日本銀行総裁だった結城豊太郎記念館がある。赤湯温泉の東側、田園の中にある白竜湖はボート遊び、へら鮒釣りなどが楽しめる。この白竜湖を見下ろす十分一山は国際大会も開催されたことのあるパラグライダーのメッカで、特に休日には空に舞う鮮やかなハンググライダー、パラグライダーを見ることができる。また市域北部の宮内地区には日帰り入浴施設ハイジアパーク南陽、夕鶴の里、日本三熊野のひとつ大同元年(806)創建の熊野神社がある。また珍しい連理の松がある双松公園は夏はバラ園、秋には菊人形展で賑わう。 ハイジア赤湯温泉 はハイジアパーク南陽という名称でクアハウス的設備が整っている。またフラワー長井線の宮内駅近くに 宮内温泉の一軒宿がある。32.5度のNaCa硫酸塩・塩化物泉を3km先から引いている。浴用では一般的適応症、皮膚病・痔疾に、飲用しても便秘・胆石・胃腸方面に効く。

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福島市の温泉
飯坂温泉
●飯坂温泉
飯坂温泉 の歴史は古く、景行天皇の皇子・日本武尊が東征の折りにすでに入湯したと伝えられ、当時は「鯖湖の湯」と呼ばれていたともいう。その後、西行法師も訪れ、「あかずして別れし人の住む里は、左波子の見ゆる山のかなたか」と詠んでいる。元禄時代には、俳聖松尾芭蕉が元禄2年(1689)にこの地を通過している。芭蕉は飯坂温泉の南にある医王寺を参拝し、源義経の忠臣として名高い佐藤継信・忠信兄弟の墓に参った。その時に謳った「笈も太刀も五月に飾れ帋幟」の句は医王寺の本堂の前と、飯坂温泉駅前にある芭蕉像の横にも立っている。その夜、飯坂温泉に宿泊して、「土坐に莚を敷て、あやしき貧家也。…蚤・蚊にせせられて眠らず」と、当時の侘しい宿の様子を芭蕉は「奥の細道」で描写している。当時の飯坂人は芭蕉に冷たかったのかも。しかし当時の旅というものはそのようなものだったりもした。 飯坂温泉へのアクセスは、車も公共交通機関もすこぶるいい。東北道福島飯坂ICからは5分ほど、鉄道ではJR福島駅から福島交通飯坂線に乗り換えて、小刻みに停まる駅の終着11番目の駅で、時間は20分ほど。飯坂温泉は駅の終点で駅前からすぐに温泉街が始まっている。飯坂温泉は1944年7月の大火で全焼したが、その後、発展を遂げ、現在に至っているもの。一時、高級ホテルからひなびた旅館まで種類もさまざまで、現在は49軒ほど。飯坂温泉のホテル・旅館は阿武隈川支流の摺上川の流れを挟んだエリアと、地内を走る小路などにびっしりと並んでいる。駅前から赤川橋に抜ける道筋に飲食店、土産物店の他、射的場、演劇場なども
●穴原温泉
あり、東北でも珍しく歓楽色濃い雰囲気が残されている。また街並の中に、近年改装された風情たっぷりの木造建築の鯖湖湯初め、いくつかの共同浴場がある。鯖湖湯は飯坂温泉の発祥地といわれているが、源泉はこの他、透達湯、波来湯筋、滝の湯、赤川筋にもある。泉質は48〜78度の芒硝泉・単純泉で、無色透明の温泉は、リュウマチ、婦人病の他、胃腸病、皮膚病、脚気に効果がある。飯坂温泉は宮城県の秋保温泉、鳴子温泉と共に奥州三名湯に数えられる。飯坂温泉から摺上川の上流、北西へ2kmさかのぼった奥十綱橋近くの渓谷沿いに閑静な心安らぐ雰囲気が漂う穴原温泉と天王寺温泉がある。 穴原温泉は摺上川で渓谷美も見られる自然溢れるところにある。10階建ての近代的な大型リゾートホテルなど大小6軒の宿がある。昔、大蛇に姿を変えた弁財天から頼まれた大百足を退治した若者が、お礼に温泉を教えられたという伝説があり、61.0度の弱アルカリ性単純泉と芒硝泉が湧く。 一方、 天王寺温泉は穴原温泉の対岸部で宿が2軒。ここには天王寺穴原湯という共同浴場が1カ所あり、61.0度の単純泉。奥飯坂といわれる穴原温泉・天王寺温泉の先の上流は白い岩肌に新緑や紅葉が映えて見事な渓谷美が連なる摺上峡が始まる。高畠町に抜ける国道399号の途中には日帰り入浴施設の もにわの湯がある。 新緑・紅葉の美しい山岳道路である磐梯吾妻スカイラインは高湯温泉から土湯峠までの全長29kmを走る。ドライブのルート上には吾妻小富士や浄土平などのビューポイントが続く。その北側の入口にある高湯温泉 は、標高750mに位置する風光明媚な温泉地。眼下に福島盆地が広がり、遠く霊山の山並みまでが見渡せる。 アクセスは東北道福島西ICから、あるいは福島飯坂ICから、フルーツライン方面に向かい、県道70号・福島吾妻裏磐梯線の交差点からを坂道を上りはじめると、4kmほどで信夫温
●高湯温泉
泉の脇を通過して、さらに3kmで高湯温泉に到着する。瀟洒な建物の宿が県道に沿って並んでいる。ここは山あいのひなびた温泉地といった感じがする。硫黄の匂いが漂い、いかにも温泉に来たと感じさせる雰囲気がある。宿数は8軒と少なめだが、眺めのいい露天風呂を持つ宿が多く、日中は吾妻の大自然を、夜には満天に輝く星と福島市街地の夜景を眺めながら温泉に浸かることができる。 高湯温泉は、天文年間(1540年代)に開湯されたとも、慶長年間(1596〜1614年)に宍戸五右衛門という狩人が発見したともいわれている。長く湯治場として利用され、蔵王温泉・白布温泉とともに「奥羽三高湯」の一つに数えられている名湯で、45〜60度の含石膏酸性硫化水素泉の乳白色の湯が溢れている。湯の質が似ているところから「東北の草津」とも称され、高血圧や動脈硬化症、アトピー、胃腸病、痔疾、糖尿病、水虫などに効くほか、どんな頭痛でも3日入浴すると治るともいわれている。薬効成分の含有量が特に多い温泉地として知られていて、入浴の注意事項に「浴室の窓を閉め切って入浴しないこと」などとあるのは、湯に体に効く成分が多く含まれているこの温泉地ならではのことである。テレビも半年ほどで腐食するともいう。残念ながら高湯温泉には共同浴
●信夫温泉
場はなく、その代わり各宿では日帰り入浴も受け付けていて、この名湯を楽しむことができる。 GW、夏休み、新緑・紅葉時期は大いに混雑する。冬場は積雪のためスカイラインは通行止めになる。高湯温泉のあるエリアは自然の宝庫で、温泉街の周辺には国指定天然記念物で福島県花のヤエハクサンシャクナゲ、可愛らしい花を咲かせるヒメサユリやミズバショウの群生地があるほか、近くを流れる渓流にはイワナが生息している。また、温泉街からスタートする約2kmの遊歩道を30分ほど歩いた所には、30mの高さから水しぶきを上げて流れ落ちる不動滝もある。途中は硫黄鉱山跡地で、ここからも不動滝が見られるほか、福島市街地も一望できる。硫黄鉱山跡地そばまでは道が舗装されているので、 気軽に散策を楽しめる。なお、県道をそれたすぐ近くには高湯平があり、別荘地になっている。 信夫温泉は高湯温泉に向かう途中、3kmほど手前の県道から、わずか小道に入り、駐車場に車を置いて、須川に架かる吊り橋を渡れば、すぐ正面に見える。橋の下は峡谷になっていて新緑・紅葉の頃はひときわ見事。宿は信夫温泉旅館の1軒だけで周回する廊下があるユニークな造り。36.5度の湯を浴用加熱、美肌効果のあるアルカリ性炭酸泉・単純硫化水素泉の透明な湯が浴槽に溢れている。
●土湯温泉
飲用もできる。 土湯温泉は神代の昔、オオムナチノミコトが陸奥国に下る際、立ち寄ったこの地で、「ここに温泉がある」と荒川のほとりを鉾で突いたことから、「突き湯」と呼ぶようになり、それが後に「土湯」に変化したといわれている。また用明2年(587)、聖徳太子が、病に倒れた父親の用明天皇の回復祈願と仏教普及のため、東国に秦野川勝というものが遣わされた。しかし、川勝も病に伏してしまった。その時、聖徳太子が夢枕に現れ「岩代国の突き湯に霊湯あり。そこで治療せよ」とのお告げがあったという伝説も残っている。地内には聖徳太子堂もある。土湯温泉は東吾妻山中腹、幕滝などから流れ来た荒川を挟んで、広い谷あいに17軒の旅館・ホテルが並んでいる。温泉街にはまんじゅう、コンニャク田楽を売る店や、サルノコシカケなど深山の漢方薬や山菜を軒先に並べる店、こけし工房、共同浴場などがあり、散策するだけでも十分に温泉街情緒を味わえる。また土湯温泉は伝統こけし発祥の地としても有名で、始祖といわれる惟喬親王と薬師如来を祭ったこけし堂もある。土湯こけしは、細胴・小頭・大前髪が特徴。共同浴場として地内に「中ノ湯」、日帰り入浴施設の「樹泉」、それに温泉街から少し離れたところに「こけし湯」がある。土湯温泉は、主要な源泉は1カ所で、58.0度の単純硫化水素泉と含重曹食塩硫化水素泉だが、独自の源泉をもつ宿もあり。また土湯奥・土湯峠を合わせれば、10種という豊富な泉質がある。温泉郷全体では自慢できるほど湯の感触が柔らかい単純泉の他、茶褐色の沈殿物があり貧血に効く鉄泉、中毒、糖尿、便秘など幅広い効能がある硫黄泉、そして重曹泉など多くの泉質が楽しめることで知られる。「土湯十楽、飯坂九楽」と謡われたように、永い歳月を経て人々から親しまれ栄え続けている。 土湯温泉の先には、奥土湯温泉と呼ばれる4つの一軒宿がある。川上温泉、東海温泉、小滝温泉、不動湯温泉で、それぞれ個性的だ。川上温泉は日本秘湯の会に属する一軒宿。
●不動湯温泉
源泉を荒川上流の旧鳩花温泉跡から引湯していて湯量豊富。珍しい山肌をえぐった大きな自然石を利用した半露天風呂の天がん風呂がある。幅4m、長さ10mの長方形をした混浴の大浴場は万人風呂と呼ばれ、壁には「土湯讃歌」の歌詞が書かれている。隣には女子浴室もある。 東海温泉は鉄筋3階建ての本館と別館のある近代的だが和風色の濃い宿で、背後の小山から流れ落ちる小滝がみえる日本庭園が美しい。 小滝温泉は、荒川渓谷に小滝が見えるためにこの名がある。この滝が見える露天風呂は内湯とつながっていて、貸切利用もできる。 不動湯温泉は温泉街のはずれから山道を20分ほど登るか、林道で10分ほど回り込んだ標高530mの山中にある一軒宿。大正10年の創業。玄関が谷に面した古い木造の2階建てで、館内は半上がり、下がりの階段などもある。お風呂は内湯が4つと、露天風呂が1つ、全部で5つある。玄関の下には鉄錆色をした単純炭酸鉄泉の湧く常盤の湯があり、神経痛にいい。長命段と名付けられた階段を下ると、羽衣の湯という桧でできた湯小屋がある。中には澄んだ単純泉が湧く。温度の違う2つに浴槽があり、筋肉痛・リューマチに効く。さらにその下、不動沢の傍らに白濁した硫黄泉が湧く、岩を穿った小さな露天風呂がある。その他女性専用の単純炭酸鉄泉と明礬泉の風呂がそれぞれ1つ
●微温湯温泉
ある。渓間にあり、秋は紅葉がみごと。 春には奥土湯の先の山中にある男沼・仁田沼・女沼一周散策路周辺と、峠方面に少し走ったところにある旧国道115号沿いのビッキ沼周辺に水芭蕉が群生する。つつじ山公園も女沼近くにある。そして、土湯温泉が最も賑わうのが紅葉シーズン。10月から11月が見頃で、磐梯吾妻スカイラインの山々の彩りや土湯温泉を流れる荒川の水面を染める落葉が美しい。 なお、土湯温泉の手前、フルーツライン付近から県道126号で吾妻山をめがけて上って行くと7kmほどで微温湯温泉に着く。フルーツロードからの案内もあるが、そちらの道はすごい山道になっている。ここは吾妻小富士の東麓、標高910mの地で、今は行き止まりだが、かつては鳥取越えという間道が通っていた。一軒宿である旅館二階堂の創業は享保3年(1718)で、現在の建物は戊辰戦争で焼失した後、明治10年頃再建の、豪壮な農家造りの茅葺き屋根。眼病や皮膚疾患に卓効の34度の酸性明礬緑礬泉が湧く。浴場棟の下には大きな温泉の池があるという。ぬるい源泉にそのまま、時間をかけて入浴する。体は温まるが、ポリ浴槽に加熱湯もあるので、交互に入浴できる。眼病のためには湯口からの透明な湯で目を洗う。目には刺激が強いが、それがいかにも効きそう。最初、目やにがでても大丈夫。それから治っていくという。最近秘かにブームになっている「隠れ家」のような宿である。夜通しで、長時間入浴する永湯のことを一夜湯、あるいは夜詰湯というが、もしかしてここがそれにふさわしいかも。湯治客も多いが、冬期は11月下旬から休業し、5月1日から再開する。 新野地温泉、鷲倉温泉、赤湯温泉、幕川温泉の2軒の「日本秘湯を守る会」に所属している温泉の他、野地温泉、横向温泉などが土湯温泉の上部の峠筋の土湯峠温泉郷にある。 野地温泉は、鬼面山の中腹に、等高線にほぼ沿って並ぶ土湯峠温泉郷の、最も福島寄りにある一軒宿。広々とした駐車場に、「く」の字形に鉄筋3階建ての建物がある。館内に
●新野地温泉
は、サウナ付きの大浴場である男性用・剣の湯、女性用・扇の湯の他、露天風呂天狗の湯、それに鬼面の湯、入替制の桧風呂の千寿の湯、女性専用羽衣の湯がある。天狗の湯は内湯からそのまま移動できる造り、それに岩積の鬼面の湯は緑も間近に野趣溢れる。この露天風呂は3時間毎の入替制。桧風呂の千寿の湯は桧造りで3種類の温度に区切った自噴の源泉が湧く。一番奥側が高温で、源泉が打たせ湯のようにおとされている。福島市街との夜景を遠望できる。 新野地温泉は、土湯峠温泉郷にある胃腸の名湯として知られている宿。標高1200mの高所で、北側に開けているため福島市街地も見え、夜景が特に印象的。宿の前を走る県道はかつての国道115号で、温泉を目的にやってくる人が多い。玄関を入ると、右手に別館となる鉄筋4階建ての建物があり、こちらには男女別の内湯と、女性用浴室だけに露天風呂が隣接している。また、玄関から左手に進んで行くと、階段の下に素朴でシンプルな湯小屋がある。中には男女別の風情のある木造りの浴槽がある。さらにその外に出た、広い荒野に木の道が設置され、右手上に女性専用、左手下に男性用の野趣豊かな露天風呂がある。 赤湯温泉好山荘は旧国道115号から500m下ったところにある。旅館部と自炊部があり、周囲はブナの自然林だが開けた環境で陽当たりもよく明るい。標高は1150m。1943年に営林署の小屋ができていたが、昭和42年に旅館営業を開始した。胃腸病・貧血症に効く
●鷲倉温泉
鉄分を含んだ58.0度の重曹炭酸鉄泉の赤錆色の湯から温泉名がついている。近年浴場に露天風呂を併設した。庭先にある半露天風呂の単純硫黄泉は野地温泉から引湯しているもの。赤湯温泉から湿原植物も見られる荒川渓谷までは30分の下りになる。冬期休業。 新野地温泉の先に鷲倉温泉がある。窓を大きくとったタイル張りの大浴場と露天風呂には85.0度の硫黄泉が、もうひとつの浴槽には無色透明の45.0度の酸性緑礬泉が湧いて、胃腸・神経痛に卓効。鷲倉温泉の標高は1230m。宿の南になる裏山には硫気活動を盛んな沢がある。側には近くの土湯峠遊歩道入口に水芭蕉の群落もある。 一方、幕川温泉は土湯峠の手前から山道を4kmほど北に向かうと見えてくる。一本道なので迷う心配はあまりないが、カーブも多くあり、注意して走りたい。ブナ原生林に囲まれた水戸屋旅館と吉倉屋旅館の2軒の宿にはともに70〜80度の単純泉が豊富に湧いている。水戸屋は鉄筋3階建て、岩造りの露天風呂がある。73.0度の単純泉。吉倉屋はモルタル2階建て、内湯には単純泉が湧く。単純硫黄泉の湧く露天風呂はオープンな場所に丸い湯舟がしつらえてあるもの。周囲をブナ林に囲まれていて、ちょっと風変わりな感じがする。宿の600m先の林間には落差40mの幕滝があり、見事。遊歩道も整備されていて散策にはピッタリだ。なお幕川温泉からスカイラインに通じる歩道もある。 横向温泉は土湯峠を越えて、猪苗代町に入ってすぐのところにある3軒の宿。横向温泉の発見は後三年の役を鎮定した八幡太郎義家が、弓で射た目を岩の割れ目からの湯で治す蛇を見て発見したという伝説がある。千年近く前の話である。上の湯と呼ばれているホテルマウント磐梯は洋風の外観で「会津八湯
●横向温泉
」と名付けられ、かぶり湯・寝湯など8種類の浴槽が人気。その下にある中の湯は、自炊専門の一軒宿。浴場は、男性用は仕切が水面下の仕切があり、手前が普通の温度で、奥の方はかなりぬるめ。わずかに白みを帯びた透明な湯が溢れている。壁で仕切られているものの女性用浴室とは、いつも開け放たれているので、半混浴といってもいいくらいおおらか。下の湯の滝川屋旅館は谷あいにある和風旅館。寛文元年(1661)に発見され、開湯は文久年間(1861〜63)。玄関から下っていった源泉に近い場所に設置された桧風呂の浴槽は、ほぼ湯面で2つに仕切られている。浴槽の底は岩になっていてそこから42.0度の源泉がそのまま湧きだしている。泉質は重炭酸Na・硫酸Ca泉。この3つの宿は、かつて吾妻連峰の峠を越えて福島に下る街道筋だった。一番新しいホテルプルミエール箕輪は箕輪スキー場を持つリゾートホテルで外観も館内もヨーロピアン。

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郡山市の温泉
●磐梯熱海温泉
福島県の交通上の要地である郡山市は、経済活動も盛んな賑わっている都市。桜の名所の開成山公園、開拓資料を集めた擬洋風建築の開成館、安積歴史博物館などの他、レジャー施設の郡山カルチャーパークも郡山南IC近くにある。 そのカルチャーパーク至近の田園の中にホテルバーデンがある。1996年開業の鉄筋6階建ての新しいビジネスホテルだが、地下600mから湧出する45.0度の食塩泉は毎分1屯にもなるためホテルの浴場や客室も温泉が引かれている。また建物南側にクア的施設に東屋付きの岩組みの露天風呂もある日帰り入浴施設・バーデン温泉を併設している。 その南、国道4号のバイパスを分岐する付近、笹川地区には月光温泉クアハイムがある。ここは日帰り入浴もさかんな一軒宿。44.4度のアルカリ性単純泉が湧く。浴場はクア的設備と庭園風の露天風呂も設置されている。 郡山市街地の中央部から真西に走る県道6号を進むと三森トンネルを抜けて、猪苗代湖の南岸に出る。その途中、標高540mまで上った付近にへの案内看板が見える。温泉名の「源」は奥州侵攻をした源義家にちなむ。ここは1877年開業の熊田屋の一軒宿であるが、敷地面積は35000坪もある。敷地内には桜が咲き、広大な庭がいまだ造られつつある。風情のある旧館の東側に、1994年の新館ができた。清潔な浴場に20.0度の単純泉を浴用加熱、湯量豊富で気持ちがいい。胃腸病・神経痛などに効く。 源田温泉のすぐ西、県道から少し下って休石温泉がある。ここは明治創業の太田屋旅館の一軒宿。ここも名称は源義家が休憩で腰掛けた石があるということに由来する。敷地は余裕があり、立体的で、宿の建物に向かう下部には、笹原川そばに花見や芋煮会もできる広場がある。30.0度の塩化土類食塩泉。太田屋旅館の鯉は評判。郡山市街地から国道49号をいわき市方面に向かうと、JR水郡線磐城守山駅前を通過するが、その駅の南西部、
磐梯熱海温泉
●磐梯熱海温泉
須賀川と三春を結ぶ県道54号から少し入ったところに守山温泉がある。温泉の歴史は古く、南北朝時代に鉱泉利用がされていたという。2軒ある内、元湯の七海荘の開業は新しく1953年。鉢植えの置かれた浴場にある切石造りの浴槽も1つある家族風呂も大きくはない。源泉14〜21度の含ラジウム単純泉は効き目がありそう。もう一軒は白水館でこちらは新しい。 郡山の奥座敷といわれる磐梯熱海温泉は南北朝時代、京の公家の娘・萩姫が、不治の病にかかった時のある夜、夢枕に立った 不動明王の「京の北方、数えて500本目の川岸に霊泉がある。その湯に浸かれば快癒する」とのお告げで、都を出て、目指す川をこの地に見つけ、治癒したという伝説がある。この川を五百川という。温泉発祥の伝えにちなんで、毎年8月には駅前をメイン会場として、温泉の繁栄と恵みに感謝する萩姫まつりを開催している。南北朝時代の衣装を身につけたミス萩姫による古式ゆかしい献湯祭や万灯パレード、などが行われ、温泉街はお祭り一色になる。熱海という地名は、文治5年(1189)、源頼朝が奥州平泉を征伐後、ここ安積郡の領主となった伊東祐長が、故郷・伊豆半島を懐かしんで熱海と名付けたものだ。車の往来が激しかった国道49号は今は街の北側をバイパスで迂回して、温泉街は比較的静かになった。駅前と、旧国道49号、平行する市道に沿って、湯治場的ムードの漂う老舗旅館や趣向を凝らした大浴場を持つホテル、広大な庭園に離れの客室を持つ高級旅館、近代的な大型ホテルなど様々なタイプの宿計30軒がある。ほとんどの宿の客室または浴室から山の緑を楽しむことができ、街の賑やかさもありながら、自然も満喫できる。共同管理されている温泉はアルカリ性単純泉で、泉温は54.0度。無色透明の湯は、皮膚の角質を軟化し、溶かして肌をすべすべにする働きがあり、漂白作用によってシミやソバカスをとり色白になると評判の美肌の湯。神経痛の疾患にも特効があり、皮膚病、胃腸病などにも効くという。なおこの単純泉の他、20.0度の単純硫化水素泉や38.0度の単純泉も湧出していて、こちらは地区、あるいは宿独自で所有している。かつては駅周辺を磐梯熱海温泉といい、現在の国道49号旧道の走る五百川沿いは高玉温泉と称していた。今は一括して磐梯熱海温泉と呼んでいる。プール、スケート場なども充実した郡山ユラックス熱海という総合レクリエーション施設もある。それぞれ露天風呂のある和風の「岩の湯」と洋風の「萩の湯」は、日帰り入浴も賑わっている。浴場はクア的設備もあり、25m温水プールもある。JR磐梯熱海温泉駅前は飲食店や土産物店などが建ち、華やいだ雰囲気の歓楽街を形成している。地内には昔ながらの手打ちそばの店や、手作りの大福を売る和菓子屋などもある。温泉地南側の五百川の渓流沿い蓬山には「かほりの遊歩道」という散策路があり、ツツジや野草が生い茂る緑の中を歩くと、表通りの喧噪を忘れそうなくらいの静寂さが広がっている。

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田村市の温泉
 
 
田村市には、滝根広瀬に針湯荘がある。ここは老人憩いの家にもなっていて、トゲが抜けるなど切傷、外傷などに効くと言われている。
大越の早稲川鬼五郎にある大越温泉健康ランドは大滝根山麓にある温泉。

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白河市の温泉
白河市北郊外に金勝寺温泉の一軒宿があり、放射能鉱泉が湧く。白河市の東には、きつねうち温泉という公共の温泉がある。「きつねうち」は地名の狐内からで、35.0度のアルカリ性単純泉を浴用加熱している。日帰り入浴も利用されているが、館内に普通の客室の他、敷地内にコテージもある。

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南相馬市の温泉
はらまちユッサ
●はらまちユッサ
南相馬市は新田川沿いの山の手に新田川温泉はらまちユッサという日帰り施設がある。林を眺める岩造りの露天風呂は広さも十分。浴場にはエステバス・ローリングバスなどクア的設備もある。特にソルティサウナという塩を体に塗って入るサウナが人気。

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須賀川市の温泉
藤沼温泉やまゆり荘
●藤沼温泉やまゆり荘
郡山市の南にある須賀川にも温泉がある。芹沢温泉は須賀川郊外にある一軒宿の和風旅館。41.0度の単純重曹泉が合わせて12の浴槽に引かれている。浴場は計250坪で、サウナも6つ、特に露天風呂の広さは特筆物。温泉は飲泉もでき、胃腸方面・火傷・痔疾・尿酸結石・痛風などに効く。岩渕地区の丘陵地の高台に須賀川温泉米屋という離れ形式の別館をもつ高級和風旅館がある。露天風呂も開放感溢れる。なお、同じ名前の須賀川温泉が市内茶畑町にあるが、こちらは日帰り入浴専門施設。 須賀川市街地から国道118号を西に走ると、長沼地区に入る。この町は中世には城下町として栄え、藩政時代にも石岡藩松平氏の陣屋もあって、道路にも城下町の風情を残している。城跡もある中心部を通り過ぎた先に案内板があり、藤沼湖自然公園「水と緑のふれあいランド」に入っていく。ここには潅漑用の人造湖である藤沼湖と、オートキャンプ場、それにコテージ村がある。それに付随して藤沼温泉やまゆり荘という宿泊もできる日帰り入浴施設があり、人気だ。やまゆり荘は湖水を松林の間に眺めながらのんびり入浴できる露天風呂もある。源泉は毎分120立湧出の46.9度のアルカリ性単純泉。すぐ近くに古民家を利用した三世代交流館と、蛇行した坂道にレイアウトされたコテージ村がある。

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相馬市の温泉
●松川浦温泉
相馬市の松川浦を眺め下ろす高台にあるのは松川浦温泉飛天という和風リゾート旅館。蒲庭鉱泉は、相馬の松川浦の南、蒲庭海岸近く、明るく開けた高台にある一軒宿の蒲庭館。12.0度の鉱泉で、塩化土類食塩泉は高血圧に効く。敷地内にかつて来訪した徳富蘇峰を記念した蘇峰園という庭園がある。

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二本松市の温泉
岳温泉
●岳温泉
岳温泉は、乳首山の別称がある安達太良山の東の中腹部・標高600mに湧く高原の出で湯で、かつては陽日温泉と呼ばれていた。歴史は古く、およそ1200年前の延暦年間に、征夷大将軍の坂上田村麻呂が東征の時に発見したと伝えられている。その後、安達太良山の噴火や戊辰の役の戦火によって4度の移転を繰り返し、今の場所に落ち着いたのは明治39年(1906)のこと。岳温泉は温泉効果の高いお湯として知られる58.0度の酸性泉の湯で、水戸黄門が難病で苦しんでいる元禄年間に、何度も足を運び、病気を癒したと記されている。源泉は10kmほど離れた、安達太良山の山頂付近にある旧火口から引湯している。湯は途中で揉まれて肌触りが優しくなる。安達太良連峰の山並みが連なる麓に湧く岳温泉は、眼下には二本松や本宮の平野が広がっている。市街地には、高村光太郎の妻・智恵子の生家があり「智恵子抄」にもある「あどけない話」にも謳われた、青い「ほんと(う)の空」がどこまでも続く抜群の自然環境にある。高原に位置するため夏でも涼しく、避暑地として利用する観光客も多い。メインストリートの「ヒマラヤ大通り」と呼ばれる坂道には、小川を挟んで道路両側に宿や土産物店が軒を連ね、華やいだ雰囲気が漂う。岳温泉のなかにはホテル・旅館が12軒、公共の宿が2軒、温泉を引いていないが、民宿が2軒、ペンションが3軒、プチホテル1軒が建つ。泉質は単純酸性泉でやけど、切り傷、リューマチ、神経痛、あせもなどに効能がある。共同浴場の「岳の湯」は素泊まりもできる。周辺には、周囲600mの鏡が池があったりと、静かな大自然に包まれている。豊かな自然に囲まれていて、現在では保養地として、GWや夏休み、紅葉の時期はもちろん、また登山、スキーの拠点としてもシーズンを問わず賑わっている。また春はワラビ、ジダケ狩り、秋はモミジ狩り、冬はキジ、ヤマドリといった山の幸にも恵まれている。近年「岳温泉十二支めぐり」という散策路が設定された。 奥岳温泉は、岳温泉からさらに5kmほど上ったところにあるあだたら高原富士急ホテルの一軒宿
●塩沢温泉
。ここは標高1000mで、スキー場のゴンドラ駅乗り場そばに鉄筋3階建てのホテルがある。ここもくろがね温泉の近くの安達太良山旧火口から引湯している。岳温泉の北にある塩沢温泉は、湯川荘、青木荘、塩沢荘の3軒。42.0度の単純泉が湧き、1959年に開業された新しい宿で、周囲は赤松林になった静かな環境にある。そばを流れる湯川渓谷は安達太良山への急坂の登山路が併走している。くろがね温泉は標高1700mの安達太良山の中腹の1400m地点、鉄山の麓にあたるところにある。硫黄臭のする白濁した65.0度の酸性泉が湧き出ている。今でこそ温泉付きの山小屋といった素朴な一軒宿・県営くがね小屋だが、硫黄鉱山のあった江戸時代には遊女もいる歓楽郷だった。部屋は相部屋になるが、風呂は男女別。岳温泉・奥岳温泉にはすぐそばの安達太良山旧火口から湯を下ろしている。安達太良山の登山コースは、岳温泉上の奥岳温泉登山口からあだたらエクスプレスで薬師岳の8合目まで上がり、安達太良山頂・峰ヶ辻を経由して2時間ほど。比較的緩やかなため初心者でも登れる。あるいは塩沢温泉の登山口から屏風岩を経て2時間半というちょっとだけハードな湯川渓谷沿いのコースもある。この2つのコースは周回になっている。くろがね温泉は冬季も営業している。

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